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司祭からのメッセージ


祈りの言葉


                        牧師   司祭 サムエル 小林祐二


 

 7月に入り、早いもので2019年も半分が過ぎました。あと半年足らずで2020年。2020年といえばオリンピック・イヤーですが、現行祈祷書の発行および正式使用開始から30周年でもあります。わたしの生涯の半分以上であることに気付いて少し驚きましたが、この30年間の祈りを振り返りたいと思います。

 わたしの着任以前より、当教会の習慣として朝夕の礼拝の日課朗読後には1分程度の沈黙をもつこととなっています。しばらくはその時間を数えること自体に費やしていたようなところがありましたが、今では朗読に応じた何らかの祈りの言葉が湧き出るようになりました。平日朝夕の礼拝の日課は基本的に継続朗読ですのでどうにも難しい個所がありますが、聖書の単語一つからでも祈りは生まれます。
 このような心の中の祈り(私祷)を振り返ると、わたしの場合は日常用いる言語形態(口語)でなされています。自分の言語は内的にも口語なのだと改めて自覚させられますし、会話は口語、私祷は文語と使い分けられる方はあまりおられないのではないかと思います。
 しかし、集会等で主の祈りを用いるとき「思わず文語が出ちゃう」という声を聞くことがあります。また牧会の現実としては、ご高齢の方をお訪ねしたときなど、文語の”時間”が長いと思われる方と祈るときは、あえて文語を用いることもあります。より心に沿った言葉が用いられるべきだと考えるからです。この意味ではまだ過渡期が続いていると言えるでしょう。
 
 他方、主の祈りについては2000年にローマ・カトリック教会との共通訳に改訂されたため祈祷書全体から10年のズレがあるにせよ、20年間毎日1回ずつ祈ったとすると…なんと7,300回となります。口語ですので、他の私祷と隔たりなく用いられてきたはずです。
 さらにさかのぼり振り返ると、現行祈祷書が用いられるようになった頃わたしはまだ大学生で、「文語」から「口語」への変化に唯々ムズムズしたことを思い起こします。しかし礼拝で何が行われ、何が祈られているのかがよりわかりやすくなったという感覚があったのも確かです。そして神学校在学当時はその改訂理念である共同体性、初代教会の礼拝の回復といった点が丁寧に教えられた時期でもありました。今、それを十分に説けてきたかを省みるに至ります。

 日本聖公会は次の節目を迎えようとしています。いわゆる「文語の祈祷書」は1957年から33年間用いられましたが、相当の年数を見越し、2016年には祈祷書改正委員会が設置され2024年の発行に向けて目下作業が進行中です。その状況はまだ表に出ていませんが、数年後には試用版である「改正祈祷書」が発行されることでしょう。

 改めて、人生の折々を祈祷書とともに過ごせているか、また日々祈りを欠かしていないかを振り返りたいと思います。皆さまもどうぞ祈祷書改訂の動きに関心をお持ちください。ご一緒に祈り、学び、試用の際には祈りのことばを持って丁寧な検討ができるよう備えて参りたいと思います。